合唱団わだち

わだちの歴史


合唱団“わだち”の源流は、1951年に日本橋に誕生した「木曜コーラス」(後に「耀声会合唱団」と改名)、1956年に代々木に誕生した「ユングリング・コール」、1960年に渋谷に誕生した「山手混声合唱団」に遡ることができます。これらの3団体が、1963年に東京コーラス・グループ「わだち」を結成。1967年6月に、それが一本の流れとなって『新しい日本の合唱音楽の創造』を基本とする単一の合唱団“わだち”が新しく発足したのでした。その後“わだち”はチェコ、スロヴァキアの音楽を中心に、多数の合唱曲の本邦初演を行い、そしてチェコを訪れたり、またチェコの合唱団を日本に招いたりと、相互に活発な交流を行いながら、今日に至っています。以下にその軌跡を振り返ってみたいと思います。

2015年 4月 第9回チェコ招待演奏旅行
2012年 11月 プラハ混声合唱団を招待
2010年 4月 第8回チェコ招待演奏旅行
2006年 11月 第40回定期演奏会<石橋メモリアルホール>
2005年 4月 第7回チェコ招待演奏旅行@
第7回チェコ招待演奏旅行A
2003年 11月 プラハ混声合唱団を招待
2000年 5月 第6回チェコ招待演奏旅行
1997年 12月 創立30周年記念定期演奏会<石橋メモリアルホール>
1996年 5月 第5回チェコ招待演奏旅行
T.プラハ(ヴィノフラディ・マヤコフスキーホール) U.クリムコヴィツェ V.オストラヴァ(アルファホール) W.オパヴァ(シレジア劇場) Xウヘルスキー・ブロット(コメンスキー博物館)
 先週の5日間、私は日本の皆さんと共に「日本」にいるようでした。多くの知人、友人が私のところにやって来て<“わだち”の演奏は素晴らしかった!>と褒めて下さり、私は自分のことのように喜んでいます。ここに、私が聞いた大変興味深いお話をしましょう。クリムコヴィツェでの演奏会を聴いた男性は共同農場で働いていますが、演奏会の翌朝仲間の農夫にこう言ったそうです。<昨夜のコンサートは実に素晴らしかったよ。あんたがもし今晩ALFAで開かれる演奏会に行かないならば、きっと後悔することになるだろうよ>と。それを聞いて彼女はその日の仕事を終えると作業着のままで会場に出掛けたそうです…。(エヴァ・ミッテネロヴァー)
1995年 11月 第30回定期演奏会<石橋メモリアルホール>
4月 「’95東京国際合唱フェスティバル」の中心団体として、フランチシェク・ハーバー女声室内合唱団とジョイントコンサートを行う
 合唱団“わだち”の演奏を、私が初めて耳にしたのは、12年前のことでした。彼らがチェコ共和国のイィフラバ合唱祭で、チェコの歌を完璧なチェコ語で演奏するのを聴いたときは、私は文字どおり息をのむ思いでした。その瞬間の出会いこそが今日まで続いている指揮者の諸井昭二氏と“わだち”の団員のみなさんとの長くすばらしい、そして真の友情の始まりでした。私はこれまで、私の合唱団と共にヨーロッパ各地を演奏旅行で訪問してきました。しかし、私たちの音楽活動のハイライトは、何と言っても日本への演奏旅行です。(フランチシェク・ハーバ)
1994年 5月 第4回チェコ招待演奏旅行
T.プラハ U.オストラヴァ V.スヴィエトラー W.プラハ X.聖ヤン教会 Y.ティーン教会(プラハ)
1993年 12月 「’93東京国際合唱フェスティバル」の中心団体として、CKDプラハ合唱団を招き東京芸術劇場で、ベートーヴェンの「第九交響曲」の演奏会に出演。特別演奏会でジョイントコンサートを行う(日本での記録)
1992年 11月 「’92東京国際合唱フェスティバル」の中心団体として、フランチシェク・ハーバー女声室内合唱団を招き、ジョイントコンサートを行う
1992年 1月 創立25周年記念・第26回定期演奏会<石橋メモリアルホール>
1991年 5月 「’91東京国際合唱フェスティバル」の中心団体として、CKDプラハ合唱団を招き3回のジョイントコンサートを行う
 日本での初めてのチェコのアマチュア合唱団の来日が実現。滞在は11日間、演奏会はすべて大成功でした。客席を埋めた聴衆は彼らの紡ぎだすチェコの生の声に感動しました。とりわけプログラムの後半の民族衣装でのステージでは、歌いながらの登場と合まってその民族色豊かな演奏に拍手喝采でした。各地での歓迎も心のこもったもので、その度に喜びに涙する彼らの純粋でナイーブな心が溶け合って、美しい友情が交錯しました。(諸井昭二)
1990年 7月 第20回「知られざる名曲をたずねて」合唱連続演奏会20回連続出場
1990年 5月 第3回チェコ招待演奏旅行
T.ヤヒーモフ U.プラハ V.モスト W.ベネショフ
1990年 4月 第3回チェコ招待記念・第25回定期演奏会<石橋メモリアルホール>
1988年 5月 第2回チェコスロヴァキア招待演奏旅行
T.プラハ U.オストラヴァ V.ヴルヴノ W.スチェボジツェ
 あの最後の演奏会(スチェボジツェ)。およそ拍手というものに、あれほど胸打たれようとは…。歓迎と期待と喜びとが、おしよせてくるような入場の際の拍手、歌い終える曲ごとの熱い拍手、ため息の後のいっそう大きな拍手、拍手といっしょの涙や笑顔。私たちは、歌わせてもらっているのだなと思いました。文化というのは、こうして築かれるのだとも。(永井孝子)
1988年 4月 第2回チェコスロヴァキア招待記念特別演奏会<石橋メモリアルホール>
1987年 12月 創立20周年記念・第23回定期演奏会<石橋メモリアルホール>
1984年 12月 チェコスロバキア音楽の年記念・第20回定期演奏会<石橋メモリアルホール>
 初めてのチェコスロヴァキア招待旅行の一年後のためか、全団員がチェコスロヴァキアの音楽と出会える喜びを一曲一曲全身で受けとめていたように思います。(三反崎和美)
1983年 11月 第1回チェコスロヴァキア招待演奏旅行
T.トゥシェシゥチ U.イィフラバ国際音楽祭 V.オストラヴァ W.フリーデク・ミーステク X.プラハ
奇跡のイィフラバ国際音楽祭
 何といっても会場の聴衆の、日本では決して味わうことのできない音楽的で強い雰囲気が皆を変えてしまった。歌の前の“わだち”の紹介で聴衆の驚きと期待と、そしてチェコ音楽を愛している異国の合唱団への燃え上がるような感情とがいっぺんにひとつになった。そこへ登場したのが前触れなしの「白樺は坂に」。琴線が触れあうとこんなにも声が変わるものであろうか。私がかつて聴いたことのない生きた声が湧き起こった。その後はもうなんの心配も要らなかった。創造者になったように私の心と意思は、そのまま皆の心と声になった。アンコールが終わってなおかつ拍手を続ける人々の涙と喜びの嵐に真実の証を見た。なにもかもこの世の奇跡のようだった。何が奇跡を生むか、いや奇跡ではなく条件が真に音楽的ならば質の高い本当の感動ある演奏ができることを知った今、この日本での私たちは自らがそうした熱を噴きだし、聴衆を巻き込める発熱体にならねばなるまい。(諸井昭二)
1982年 11月 創立15周年記念・第18回定期演奏会<石橋メモリアルホール>
1980年 6月 第10回「知られざる名曲をたずねて」合唱連続演奏会10回連続出場を記念し、表彰状と記念品を贈られる
1980年 5月 指揮者・諸井昭二、プラハの春国際音楽祭に招待される
1979年 12月 諸井昭二指揮生活30周年記念・ヤナーチェク文化勲章受賞記念・第15回定期演奏会<石橋メモリアルホール>
1979年 10月 指揮者・諸井昭二にチェコスロヴァキアより「ヤナーチェク文化勲章」を贈られる
1977年 11月 創立10周年記念・第13回定期演奏会<石橋メモリアルホール>
1976年 11月 プラハ・フィルハーモニー合唱団来日記念交流会出演
1974年 10月 チェコスロヴァキアより『スメタナ文化勲章』を贈られる
 第10回定演では、私たちがその後今日に至るまで、チェコにのめり込むきっかけとなったヤナーチェクの「アマルス」を演奏しました。その熱演が認められ、同年秋に彼の国よりスメタナ文化勲章を贈られたあの感激が昨日のことのように思い出されます。(毛利貴子)
1974年 6月 第10回定期演奏会<朝日生命ホール>
1973年 7月 第3回「知られざる名曲をたずねて」合唱連続演奏会出演
☆ヤナーチェク「アマルス」本邦初演。《チェコの曲紹介のはじまり》
 70年代で特記すべきことは、何といってもチェコ音楽との出会いです。72〜73年に、当時の駐日チェコ大使夫人コジュシュニーコヴァー(声楽家)さんから、ヤナーチェクのカンタータ「アマルス」演奏の手ほどきを受け、これをきっかけに次々とチェコの素晴らしい合唱曲にめぐり合い、本邦初演をしました。
 76年のプラハ・フィル合唱団来日の折には、空港ロビーでドヴォジャークの《歌が私の心に》を原語で歌って、出迎え、涙、涙の初対面となりました。訪日中、我々の練習場にも来ていっしょに歌って頂いたり、居酒屋で杯を傾け合ったり、以来今日まで続く交流が始まりました。(毛利貴子)
 ヤナーチェクの「アマルス」との出会い。“わだち”にとって、これは運命の出会いといっていいでしょう。現在のレパートリーの大半がチェコの曲ですが、そのルーツは「アマルス」との出会いと感動、演奏が終わってなお残る惜別の情に発しているからです。(吉川重清)
1971年 6月 第1回「知られざる名曲をたずねて」合唱連続演奏会出演
 わが国の合唱団の演奏する曲が豊かになったのは、この「知ら名」があったればこそと言っても過言ではありません。特に私たち、合唱団“わだち”にとっては、合唱団の性格を変えてしまった程の存在なのです。(吉川重清)
1967年 10月 合唱団“わだち”発足特別演奏会<文京公会堂>
 プログラムはショスタコーヴィッチの「十の詩曲」と「森の歌」。第1曲目の「仲間達よ、さあ行こう」が団結成の出発の歌となった。あれから30年、当時のメンバーは数名残るのみだが、とにかく皆若く、すべてが夢中だった。(小佐野明夫)

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